花柳流花柳会・設立経緯

謹啓

皆様方におかれましては益々ご清洋のこととお慶び申し上げます。
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。

その節は、皆様方から署名嘆願のご協力を頂き、誠に有難うございました。お陰様で、本年一月二十四日に「一般社団法人花柳流花柳会」を設立することができました。先ずは、本法人設立後七ヶ月が経過し、皆様方に対するご案内が遅れましたことを心よりお詫び申し上げます。

次に、皆様方に何故四代目現家元を名乗る者と袂を分ち「花柳流花柳会」を一般社団法人として設立したかについてご説明させて頂きたく存じます。

第一に、四代目現家元を名乗る者は、三代目宗家家元の継承に対する意思に反し、血縁者ではないからです。故花柳流三代目宗家家元花柳壽輔(花柳若葉)死去後、相続人不在の為、現在、故人所有の土地建物(花柳流舞踊道場)、初代からの伝承品等は、相続管理人により管理されています。このままでは、花柳流の聖地と信ずる我々の研修、研鑽の場である花柳流舞踊道場が継承されず、国庫に帰することとなります。流儀を独断で継承した四代目家元は、三代目宗家家元の実子ではありませんので、当然相統する権刹はありません。花柳家は初代から三代目まで実子が継承してきましたので、三代目も常々血縁者に継承させたいと思っていましたが、三代目には実子がいませんでした。ここで、別紙の昭和四十年十一月三十日に「邦楽と舞踊社」が編集した「日本舞踊体系花柳流」の「花柳流略系譜」をご覧下さい。初代壽輔は、実子二代目芳次郎が明治二十六年に二十九歳で夭折した為、養子を迎え三代目芳次郎を継がせましたが、この養子とは明治三十八年頃に離縁し、芳次郎の名跡は初代壽輔の養女花柳つるが預かることとなりました。その後、初代壽輔は晩年に「とめ」と云う方との間に実子が誕生、二代目壽輔となり、更にその実子花柳若葉が三代目にと継承されました。一方、養女花柳つるは、未婚のままで実子もいなかったので、養子を取り、四代目芳次郎(後の花柳芳瞠)とし、その長男が五代目芳次郎です。この様に初代からの血縁は初代花柳つるの代で終わっています。

第二に、現四代目家元を名乗る者は、花柳家の分家でもないからです。

五代目芳次郎は三十年程前に大阪で花柳流関西の家元を名乗り旗揚げしましたが、三代目宗家家元と法的に争い敗訴、五代目芳次郎の実弟が芳瞠流を名乗る事で決着をつけ、当人は恥も外聞もなく三代目宗家家元に詫びを入れ、花柳流に残ったような人物です。三代目宗家家元はこれを期に五代目芳次郎を分家一代限りとし、花柳家より別家としました。その後も名誉職を与え眼の届く所に居させたと聞き及んでおります。その様な人物を何故四代目家元にと不審が募る一方です。

第三に、四代目現家元を名乗る者は、継承に当り理事会の正式な手続きを踏んでいないからです。この度の三代目宗家家元死去に伴い、ごく一部の理事の独断で継承を決め、後日理事会の説得を試みたところ、親族を交え正式に継承者を決定すると結論付けられました。ところが、その後親族間の話合いは一切行われておらず、当人自らが四代目家元と名乗り現在に至っています。  
第四に、四代目現家元を名乗る者は、独断で理事会のメンバーを変え、東宝歌舞伎等の芝居や宝塚歌劇団等の振付を取り入れ、新しい花柳流を創ると勝手な方針を述べているからです。加え、当人と異なる意見を言う者には圧カを掛け、花柳流名取としての活動を妨害する始末です。これまで、花柳初代、二代、三代と多くの歌舞伎舞踊の作品を残し、今に伝承されています。私共は、花柳の名を名乗り、流儀の古典舞踊を次世代に伝承すべく修練して参りました。故三代目宗家家元も初代の意思を貫徹し流儀を守ってこられました。しかし、三代目亡き後、その方向性が他の芸能文化を取り入れることで大きく本筋から外れ、将来に伝承されるべき流儀の古典舞踊が忘れられ去られるのではないかとの不安を禁じ得ません。

第五に、四代目現家元を名乗る者は、花柳家の代々の名前を勝手に商標登録し当人以外の者が使えない様にしているからです。これは家元と云う地位に執着し、花柳流を我が物にしようとする私利私欲としか思えません。その様な者が流儀の伝統と古典舞踊を伝承する資格は無いと確信しています。

以上の事由に加え、相続管理人の助言もあり、「一般社団法人花柳流花柳会」を設立致した次第です。今後は花柳流の伝統を守り、次世代に継承していけます様、一同全身全霊を傾け精進して参る所存です。しかし、私共だけでは微力でございますので、ご賛同頂けた皆様方にお力添えを賜ります様、切にお願い申し上げます。

 

謹白

※平成27年6月11日追記。名称等抹消請求訴訟の裁判が確定したため、平成25年12月13日付にて一般社団法人花柳流花柳会の名称の抹消登記がされました。